私が私であることの証。
甲州手彫印章の(みやび) なデザインの世界。

甲州手彫印章

山梨県六郷(現在の市川三郷町)は、知る人ぞ知る印章の里。印章というよりもハンコという方が、ピンとくる人が多いかもしれません。県内御岳山系には豊富な水晶の鉱脈があり、1837年(天保8年)に水晶加工工場が設立されました。水晶加工を中心に、印章は県の主要産業として経済を支えてきました。国から伝統的工芸品として唯一、印章分野で指定されているのが甲州手彫印章です。

山梨県は、なぜ印章王国になったのか。

「生まれた時から、ハンコ(印章)は身近でした。小学校で将来の夢を書くと思うのですが、私が小学生だった頃、六郷では半分ぐらいの児童が“ハンコ屋”って書いていました。自分も自然に職人を目指すようになりました」。
六郷では印章の職人だけでなく印章ケースの製造や卸販売など、町中の人が何らかの印章関連の商売に関わってきたといいます。自他ともに認める日本一のハンコの町。ここで工房を営む伝統工芸士※註1である望月煌雅さんに、印章がどのように日本社会の中で根付き、なぜ山梨が印章で日本一なのかを教えていただきました。

※註1)伝統工芸士:伝統的工芸品の製造に従事し、技術・知識・経験が優れている職人に対し試験を行なった上で、(財)伝統的工芸品産業振興協会が「伝統工芸士」を認定。

「日本に印章の文化がやってきたのは中国からです。印章は自己の証明でありかつ、自分を守ってくれるお守り、魔除けのような役割もあったようです。日本には飛鳥時代、中国に倣って大宝律令(701年)が制定された頃に官印として印章が入ってきました。奈良時代・平安時代の印は権威の象徴で、天皇が公式に使用する印章「御璽(ぎょじ)」などは、紙一面にわたってほとんど文字のある箇所に押され、文書の真正を保証する役割がありました。平安時代後半からは、「花押」という自署を図案化した特別な署名が広く使用されるようになります。

望月さんの工房内の書棚
望月さんの工房内の書棚は、印章関連の歴史に関する本や書体に関する本が並ぶ。
武田信玄の花押
望月さんの蔵書から。見せてくださったのは武田信玄の花押。

戦国武将は、天皇へ手紙を送るときなどに花押を使用し、一般向けへの送り状や通達には印章を使用しました。望月さんから、今まで考えてもみなかった印章の歴史が語られます。

印章の使用が民間に広がったのは明治時代以降。それまで苗字のなかった人々も苗字を得て、1873年(明治6年)10月1日、明治政府が公布した太政官布告では、国民に実印の使用が認められるようになりました。

印章の広がりは、山梨県の地場産業にも大きな影響を与えます。「江戸時代の六郷は足袋が有名でした。六郷の農家は農閑期になると手縫いの足袋を作り、全国に売り歩きました。明治時代になるとミシンの普及により、手縫いの足袋は生産量の面でも価格的にも次第に競争力を失います。

武田信虎(武田信玄の父)と信玄の印章
こちらは武田信虎(武田信玄の父)と信玄の印章。信虎の印章(右上)には虎が、信玄の印章(右下)には龍が彫られている。

一方、山梨県では新たな地場産業として水晶加工の印章に力を入れます。民間事業として鉱山開発が可能になって水晶の採掘量が増えたこと、山梨に篆刻家(てんこくか)と呼ばれる篆書(書体)彫りの専門家が明治時代に多く存在したことが印章業の発展を支えました」(望月さん)

こうして、足袋を扱っていた人々が印章と共に全国を行商し、印章は山梨県を支える産業の一つになっていったのです。

印章からデザインへ、新たな分野での可能性。

自署(サイン)だけではなく印章を以って正式な承認とする日本の印章文化は、世界的に極めて珍しいといわれます。日本で印章が続いてきたのは、単に自己証明や意思の確認の手段としてだけではなく、書体や印章を彫る技術の中に芸術性や文化性、そして霊性のようなものも重んじてきたからかもしれません。現代では浸透印のような既製品が多くなりましたが、手彫り印章の違いや魅力を望月さんはこう語ります。

印章制作
印章制作で、印面に深さを出し、凸凹を作る荒彫り作業

「印章の本質的な意義は、唯一無二であることです。私は、印章の印影はその人の分身だと思って、一本一本に精魂を込めて制作してします。枠の中にバランス良く文字が納まり、書体の特徴を活かした線の流れ、切れ味のある印章は、見た人にも良い印象を与えると思うのです」。

印章
印章を彫るには多くの書体を覚える必要がある。代表的なものに篆書体、隷書体、楷書体、行書体、草書体、古印体など

近年日本では、行政手続きにおいて押印廃止が推進されるようになりました。しかし、自己の意思表示にはやはり良い認印が欲しいという人も根強く、また、手彫り印章のような特殊な技術に新たな価値を見出す人々もでてきています。

望月さんによれば「最近は、デザイナーさんからの相談も増えています」とのこと。商品のロゴやパッケージ、包装紙などの制作で、印章の書体や手彫りの独特な形状に、既存のフォントなどでは出せない世界観があると、デザイン性の評価が高まっているのです。印章ならではのフォーマル感、雅さは、商品のイメージアップにも貢献しそうです。

印章
さまざまな印材を使用して作られる印章。近年は、外国人からのオーダーもある。
印章技術
商品パッケージやロゴなど、デザイン分野で生きる印章技術。

一目見ただけで商品を思い浮かべることができたり、デザインとしての美しさを楽しめたり、印章技術は新たな道を歩みつつあります。

今後は個人の生活においても、これまでハンコを利用してきたような場面とは異なるシーンで、何らかの意思表示として、プライベートで特別な気持ちを表す手段として、新たな道が見出されていきそうです。

Text : Kaori Shibata
Photo : Takao Ota

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